胃もたれ沢 吐瀉夫の日常

ゲーム業界で働く社畜の僕が好きなものや、日々のあれこれを書いたり、気になったサービス・製品のレビューをしたりしてます。

自分が興味を持てるのは「したい」ではなく「知りたい」なのではないかと思う

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オッス!オラ吐瀉夫!

ゲーム業界で働いて11年。

最近は開発会社で企画職として働くことに違和感を感じつつある僕です。

先月こっちのブログに書いたように、仕事について悩むことが増えてきました。 

 

そもそもプライベートでもゲームをあまりしない自分が、面白いもの作れるのか?という悩みも昔はありました。

数字に強かったり分析して仮説を立てて打ち手を施策に落とし込む等の強みがあったり、マネジメントやディレクションが得意だったりで評価されてきたのでやってこれたんですよね。

だから「面白いものを作る」チームを支援する、だったりアウトゲームというかキャンペーン等の施策で成果の最大化を図ることで活躍してきました。

 

だけど、ここ2年ほど業務の4割くらいがレベルデザインになっており強みとの剥離を感じている。

 

そんな自分ですが、付き合いの長いフォロワーのゲームプランナーさんから「そもそも(面白いを)求めてないよね」って言われてハッとしたんです。

 

ゲームとは体験を提供する物だと思っています。

 

敵に打ち勝つ勝利の体験。

自分なりに考えた作戦などの成功体験。

徐々に育てたキャラクターが一つ一つハードルを超えていく成長の体験。

そういったものから狩猟体験、飛行体験などの日常からかけ離れた世界での体験など。

 

そういったものを体験出来るのがゲーム。

その「体験」を面白いと思うのは、それを「求めている」からだと思うんですよ。

 

改めて自分を振り返ってみると、自分は「体験」というものに興味が無いんですよね。

全く無いわけじゃないけど、コスパが悪いと思っている。

 

旅行も食事も心が動かされない。

長い移動時間と旅費に対して、その滞在時間中に得られる感動ってどうなのかって考えてしまうし、実際に旅行に出かけてもそんなに心が揺れ動くことは無い。

 

食事も、周りが「うわ!ここの飯美味いですね!」と言われても、だいたいどこの飯も美味しいしなぁ…と思うし、感動するほど美味しいと思ったことがなくて、そういうことを言われると微妙な反応しかできない。

 

感情が薄いのかもしれないし(これはよく言われる)、言い方を変えれば人生を損しているのかもしれない。

 

だから自分には「〜したい」が全く無い。

休日、連休の予定なんていつもスッカラカン。

 

良いか悪いか分からないが「〜したい」がないのは拘りが無いということでもあって、仕事でも家庭でも、相手のしたいことに合わせてもストレスがあまりない。

もちろん疲れることは遠慮したいのだが。

 

困ることと言えば、仕事で例えば「次の施策は吐瀉夫さんのやりたいようにやっていいよ」と言われても、やりたいことなんてないから困る、くらいだ。

まぁ「〜したい」は無くても「評価されたい」という承認欲求はあるので、売上が上がる施策を考えることに常に全力なのだが。

 

そこで、じゃあ自分は何に興味を持つのだろう?と思って自分の好きなものを並べてみた。

 

それは音楽、マンガ、映画、小説。

 

この中で音楽だけは特殊かなと感じている。

音楽に関しては歌詞とか気にせずメロディが自分の感情を掻き立ててくれるから好きなのであって、マンガ・映画・小説とは異なり何度も何度も繰り返し同じ曲を聞いて楽しめたりする。

 

ところが一方、マンガ・映画・小説に関してはよほど気に入った作品で無い限りは2回以上楽しむことはない。
(内容うろ覚えだからもう一度見るとかはある)

 

そしてグッズなどにはあまり興味がなく、特定の人物・キャラクターに著しく傾倒するほどの愛情も無く、基本的にはその作品そのものにしか興味がない。

マンガも、作者の画集を買うこともたまにあるが買って満足して開いていないイラスト集、画集が結構あったりするので、本当の意味では絵にそんなに興味がないのかもしれない。

 

そう考えたとき、自分は気になった作品の物語や、その行く末を「知りたい」からマンガ、映画、小説を好んでいるんじゃないかと気付いた。

 

名作ゲーム「ウィッチャー」もNetflixのドラマでハマって、買おうかどうか激しく悩んだ。

その結果、Youtubeのストーリー解説動画で満足してしまった。

 

正直、メタルギアシリーズをはじめ、ストーリーが気になるゲームはあっても、「ゲームデザイン」そのものに惹かれるゲームは無く、物語やオチが気になるゲームは「小説かコミカライズ、もしくは映像作品になってほしい」と思ってしまう。

 

ちなみにウィッチャーは小説版を買ったりしている。

でも結局ゲームは買っていない。

 

こんな自分が一番好きなゲームジャンルはなにか?と聞かれると

即答で「ノベルゲーム」と答えるんだから、今更自分でも納得している。

 

ノベルゲームの素晴らしいところは、物語を追いかけるのに必要なユーザーの作業が決定ボタンを押すだけというシンプルな構成であることだと思っている。

ユーザーの「知りたい」を叶えるために求める労力はボタンを押すだけなのだ。

 

だからこそ自分はノベルゲームが大好きだった。

でも、謎解きをさせるアドベンチャーは嫌い。

 

謎解きを「したい」のではなく

謎解きをする人達の物語を「知りたい」のだから。

 

気になる物語の内容を知る中で、感情を揺さぶられる。

泣いたり、笑ったり、自分の心を動かしてくれる作品を好きになる。

でも一度知ってしまった内容を繰り返し読んでも、最初のような感動は無いからあまり読み直しなどをしないのだが。

 

ここ数年、時代は「体験」を求める人が増えたという。

しかしながら、人間の根源的欲求は知的好奇心だと思っている。

 

人の興味が「知りたい」から「したい」に変化しているのかもしれない。

だが、僕はまだまだ「知りたい」ことが沢山あるようで、「したい」のフェーズに進めずにいるのかもしれない。

 

いずれにせよ、こんな自分が体験づくりをするゲーム業界でどのように生きていくべきなのかは考えていかなければいけないと感じている。

 

ただ、自分の興味の先がクリアになったのは色々とスッキリしているので、これから先を冷静に考えてみようと思う。