胃もたれ沢 吐瀉夫の日常

ゲーム業界で働く社畜の僕が好きなものや、日々のあれこれを書いたり、気になったサービス・製品のレビューをしたりしてます。

自己否定で鬱から脱した話をご紹介

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オッス!オラ吐瀉夫!

いきなりですが、僕は5年ほど前に鬱病になりました。

 

当時勤めていたオンラインゲーム会社で憧れの企画職に就き、その仕事が原因でした。

アルバイトで入社し、デバッガーとCSを2年務め、散々企画職への気持ちを上長にも伝え続け、適性ありと認めてもらい、せっかく企画職として異動したにも関わらず、1年ほどで鬱病に。

 

不眠、希死念慮、食欲不振、動悸が主な症状で、アムカをしたり、自殺の方法を調べたり、実際に首吊りの練習や、反射嘔吐の確認などネガティブな勉強をしていました。

 

父親も首吊り自殺をしていただけに、僕にとっての自殺=首吊りだったのでそのあたりは特に色々勉強してましたね。

ただ、デパスを飲んでいる時だけはやはり幸福状態というか、気分が良く、その効果が出ている間だけは救われていました。

鬱病処方薬

プリンペランやスルピリドは効きませんでした

鬱病になったきっかけなのかと今でこそ思うのは

小さなチームであるものの、未経験からいきなりオンラインゲームのプランナー兼ディレクターとして抜擢してもらい、うまく期待に答えられず、チームメンバーとのコミュニケーションが良くなかったことなのかなと。

 

5年も続く長寿タイトルの初期開発からチーフエンジニアを務めているエンジニアと特に折り合いが悪かったのがかなり痛かったです。

普通に考えても納得出来るものですが、いきなりバイトで未経験の若造が入ってきてディレクターとか気分の良いものではないですよね。何も知らない奴が入ってきて、自分が5年間守り抜いてきたタイトルの仕様・施策・企画を的はずれなアイデアで提案してくるわけです。

 

そりゃあ気分のいいものではなかったでしょう。

 

チーフエンジニアの方は、僕が提出するものに対して「意味が分かりません」と突き返してくるばかり。プロデューサーもエンジニア出身のためチーフエンジニアと仲が良く、僕の方をフォローすることはありません。

 

5年の差を埋められるほどの実力は僕にはありませんでしたし、何が駄目なのか聞いても「それを考えるのがあなたの仕事でしょう」と突き返されていました。

 

今思えば駄目だろうと、悪かろうと、実施するかどうか決めるのはディレクターの僕だったので、彼の意見を受ける必要はなかったんだなと思います。

 

しかし、当時の僕は企画職1年生。なんならプランナーの経験も無いので、運営チームの動き方なんてわからなかったのです。

今だったら、「今回はこちらで行かせてもらいます」と押し通して、実施後のKPIを分析して何が駄目だったのか、良かった点はあったのかを見て、次の施策に活かすことが出来ると、判断出来ますが…。

 

否定され続ける毎日。残業して作り直す仕様書もNGをくらい続け、その結果、開発スケジュールが遅れ、他のメンバーを休日出社させてしまう罪悪感。

 

コレが一番の原因だったなぁと思います。

 

憧れのポジションへの期待と、それをこなせない自分への失望感。自分の実力の無さを痛感しました。

 

そこから鬱病の症状が出始め、仕事を度々休み、鬱病と診断され、休職に。一度復職しましたが、またすぐに症状が再発。

それもそのはず、鬱の原因であるのは「仕事ができない自分」だったのですから。

 

自分はダメだ。自分はできない。と自己否定で鬱になったのかなと。結果、二度目の休職から復職すること無く、契約終了し無職に。

 

少し話は変わりますが、鬱病の方々、特に治療中・闘病中の方々のツイッターやブログを見てると、「こんな自分でもいい」「自分を愛そう」「出来なくても良い」という自己肯定をしている方々を見かけることが多いなと個人的に感じました。

 

もちろん有効なアプローチなのかなと思うんですが、僕にはそれが出来ませんでした。

幼少時代より、人に迷惑をかけるなと育てられたのは皆さんも一緒かもしれません。それが特に厳しかった我が家。そのせいか、仕事が出来ずに人に迷惑をかける自分を何より許せませんでした。

 

仕事を辞めた後、仕事が出来ず迷惑をかける相手がいないからか、落ち込むこともへり徐々に症状が収まり、回復してきました。

 

そのかわり、無職の間、自分と向き合う時間が出来ました。

「自分は駄目だ」

社会に生きる人間として、足を引っ張りたくない。でも自分は皆の足を引っ張ってしまう。迷惑をかけてしまう。

 

そんな自分は価値がない存在だ。

 

そんな自分が許せない。価値を生み出したい。この社会で生きていく権利が欲しい。

社会人ってなんだ?社会に属し、貢献する人だよな…と自問自答した結果、僕にとって「人間の価値は社会に貢献できる人」となりました。

 

社会に貢献できる人、社会からの評価がある人というのを分かりやすく定義すると、会社からの評価が高い人、にいきつきました(安直な僕の脳みそがはじき出した結果です)。

会社から評価が高いってのは分かりやすい目標なんじゃないか?

 

社会への貢献にもなるし、自己肯定感も高まるし、生活も豊かになる。もちろんお金だけが全てじゃありませんが、わかりやすい一つの指標でした。社畜脳の出来上がりです。

 

そんな人間になるため、高卒で職も転々とし続けたブラック人材の僕が出来る仕事ってなんだろう…?

 

自分に価値を生み出さないことには、また鬱の症状が再発しかねない。自分が活躍できる会社を探さなければならないが、そんな会社探せてたら誰だって探してる。

自分の経験が少しでもプラスに働く職種に就けば、少なくとも今、認識できている自分のラインからはスタートできる。まったくの未経験の業界だと、想定以上に駄目かもしれない。

 

そう思った結果、またゲーム業界に戻ることを決意し、翌月には今の会社に入りました。フリーランスプランナーとしてチームに参画。

 

前職でディレクターとして広く業務に携わってただけに、プランナーの仕事はそこまで苦ではなく、「価値のない自分」を許したくなく、自分の価値を作るべくひたすらがむしゃらに働きました。

オンラインゲームではなくソーシャルゲームタイトルだったため、施策数が多く、やりがいはありました。どんどん自分の業務を拡大し、上長の仕事を巻取りました。

裁量労働制だったのもあり、残業の仕方は自分に任せられてたので誰よりも働き、誰よりも結果を出すために頑張りました。

 

土日も暇があれば出社して仕事をし、緊急の休日対応も上司から巻取り、自分で全て対応出来るようにしたりして、その結果制作以外の全ての現場の仕事を一人で回せるように。

そういった働きぶりから半年後にはプロデューサー兼ディレクターとなり、その結果も評価されて1年後にはもう1タイトルもプロデューサーを任せられることになりました。

 

社畜街道まっしぐらかも知れませんが、努力をすれば、その量に見合うかどうかは別として成長をするのは間違いなく、小さな成長さえ当時は嬉しかったです。

 

打算的だったり、斜に構えてひねくれたり、そういった自分が顔を出しそうになるのを抑えて、盲目的に努力する必要がありましたが…。

そんな自分を半ば、洗脳というかコントロールするために

こんな本とかこんな本とか

よく読んでいました(笑)

今となっては懐かしい思い出と思えます。

この自分を洗脳するというか、自分をコントロールする方法を学んだのはかなりの収穫でした。盲目的な努力を続けるために、周りをシャットダウンさせるための手段の一つとして。

 

見返りのない努力を人はなかなか出来ないと思います。

特に僕の仕事は裁量労働制で残業しても収入は変わらないですし、短期的目標ではなく半年後、1年後の査定を目標にする他、評価機会もありませんでしたし。

 

だからこそ、「価値のない自分」の価値を生み出すために、この本の価値観を自分に植え付け、ひたすら働きました。

 

その結果、社内でも「どうかしてるほど働くプロデューサー」として評価され、自分に価値をやっとある程度生み出せるようになったなと思っています。

 

今は、自分をコントロールする手段を駆使して努力するモチベーションを維持しながらも、もう少し自分の幸せを増やすために生き方・働き方を模索しているところです。

 

鬱からの脱し方は人それぞれだと思いますが、僕は原因が分かりやすかったので、対処がしやすかったのもあると思います。

 

褒めて伸びるタイプじゃない自分は、このやり方だったからこそ成長して抜け出すことが出来たのかなと常々思っていたので乱文ですが認めてみた次第です。

価値がないと思って努力していたあの頃の自分をこの本を見るたび思い出します。

慢心すること無く、努力を続けたいと思います。

それでは、今日も仕事が待っているのでこの辺で。