どうも!オラ吐瀉夫!
…なんて、景気のいい挨拶から始めてみたものの、正直、心の中はどしゃ降りの雨模様です。今日のブログは、誰かに何かを伝えたいというより、ただただ僕の頭の中を渦巻いている不安と絶望を、キーボードに叩きつけて整理するための、いわば公開自慰…いや、公開日記です。
最近、本気で考えてしまうことがあるんです。もうすぐ40歳になる自分の、この先のキャリアについて。
「50歳になったら、今のこの仕事(ポジション)は、若い子に明け渡すことになるんだろうな」
深夜、一人で残業しながら、ふとそんな考えが頭をよぎったんです。その瞬間、今まで感じたことのないような、冷たい何かが背筋をスーッと下っていくのを感じました。それは、諦めでもなく、怒りでもなく、もっと得体のしれない、静かな「絶望」でした。
仕事で自己実現してきた、なんて言うとカッコつけすぎですが、少なくとも仕事にやりがいを感じ、自分の成長を実感することに喜びを覚えてきた人間にとって、「ポジションを譲る」というのは、実質的な戦力外通告のように聞こえてしまうのです。
収入も、仕事の面白さも、成長の機会も、このまま右肩下がりになっていくのか? そんなの、絶対に嫌だ。でも、どうすればいい? 何ができる? 考えれば考えるほど、深い沼にはまっていくような感覚。
- なんでこんなに絶望してるんだろう?壁の正体を考えてみた
- 「後進に譲る」って言うけど、譲った俺はどこへ行くんだ?(泣)
- 俺だけじゃないよな?世間の40代の声を探してみた
- で、どうすんだよ俺。絶望のまま50代になるのか?いや、まだやれるはずだ。
- 結論なんて出ない。けど、今日のところはこう思う。
なんでこんなに絶望してるんだろう?壁の正体を考えてみた
この絶望感、一体どこから来るんだろう?
自分なりに、その正体を言語化してみようと試みました。多分、僕の前にはいくつかの巨大な「壁」が立ちはだかっているんだと思うんです。
一つは、「プレイヤーとしての性能低下」という、認めたくないけど残酷な壁…。
正直、もう20代の頃みたいに無茶はききません。昔は「3徹くらい余裕っしょ!」とか言ってレッドブルをガブ飲みして乗り切れた案件も、今やったら多分、翌週は有給休暇で溶けることになります。
最近入ってきた若手なんて、僕が1日かけて調べるような新しい技術を、半日でキャッチアップしてくる。その姿を見るたびに、「ああ、これが若さか…」と、甲子園を見守る高校球児の親父みたいな心境になるんです。(笑)
そしてもう一つが、「役割の強制モデルチェンジ」の壁。
会社は、僕らアラフォー世代に「いつまでも最前線で走り回ってないで、そろそろマネジメントやりなさいよ」と、暗黙の、あるいは明確なプレッシャーをかけてきます。
でも、僕がやりたいのは部下の勤怠管理や面倒な予算調整じゃない。
自分の手で、面白いものを創り出すことだったはずだ。この「やりたいこと」と「求められる役割」のギャップが、心をじわじわと蝕んでいく気がします。
さらにダメ押しで、「役職定年」という名のゴールテープが見え隠れする壁。
うちの会社にはないんですが、一定の年齢になると管理職から外れるっていう、あの制度です。あれって、実質的に「あなたの成長はここまでですよ」って会社から言われているようなものじゃないですかね。その先のキャリアパスが明確に示されているならまだしも、多くの場合、そこは「ご自由にどうぞ」的な放置プレイ。この「先が見えない感」が、絶望を加速させる最大の要因な気がしてなりません。
転職を検討している現在、これが怖い。
これらの壁を前に、「俺の社会人人生、もうピークは過ぎたのか…」なんて考えてしまう。これが、僕が今感じている絶望の正体なんだと、書きながら整理できてきました。
「後進に譲る」って言うけど、譲った俺はどこへ行くんだ?(泣)
「後進に道を譲る」。なんて美しい響きなんでしょうか。匠の技が…ry
でも、現実問題として、道を譲ったジブbんは、そのあとどこへ向かえばいいんでしょう。路肩で静かに朽ちていくのを待てと? ふざけるな、まだローンだって残ってるんだぞ、とww
この「譲る」という行為を、ただの「引退」と捉えるから、こんなにも辛くなるのかもしれないな、と少し思いました。視点を変えられないだろうか。
例えば、サッカー選手。
全盛期を過ぎたベテラン選手は、ピッチの主役ではなくなるかもしれないけど、その経験を活かしてチームの精神的支柱になったり、若手に的確なコーチングをしたりする。
試合の流れを読む力は、若手にはない絶対的な武器だ。彼らは、役割を変えることで、チームに貢献し続ける。
これって、僕たちサラリーマンも同じじゃないか? ガムシャラにコードを書く役割から、プロジェクト全体を俯瞰して、若手が最大限にパフォーマンスを発揮できる環境を作る役割へ。これは「後退」ではなく「役割のアップデート」なんだと。そう考えれば、少しだけ気持ちが楽になる気がします。
あ、ただ僕は長嶋監督の息子の一茂さんが大好きなので、ああやって生きたい感もあります(笑)
僕が20代の頃にやらかした数々の失敗
。あの時、もし今の僕のような立場の先輩が、的確なアドバイスをくれていたら…なんて思うことが多々あります。
そうか、僕がなるべきは、過去の自分が「いてほしかった」と思えるような、そんな存在なのかもしれない。
ただ、問題は、会社がその「アップデートされた役割」の価値を正しく評価してくれるのか。そして、僕自身にその役割を担うだけの器があるのか。
結局、また新たな不安に行き着いてしまうのですが…。
俺だけじゃないよな?世間の40代の声を探してみた
こんな風にウジウジ悩んでいるのって、もしかして俺だけなんじゃないか。
周りの同僚はもっと上手くやっているように見える。そんな孤独感に苛まれて、少し調べてみたんです。そしたら、ちょっとだけ勇気が出るデータを見つけました。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)という、なんか強そうな名前の組織が出している調査報告です。
正社員として働く40~50代のうち、今後の見通しについて「これまで身につけた知識や能力だけでは、この先、通用しない」と回答した人は7割を超えた(「そう思う」41.4%、「どちらかといえばそう思う」31.2%)。
引用元: 独立行政法人 労働政策研究・研修機構 「ミドルエイジ層(40~50代)のキャリアと学びに関する調査結果」
7割以上!マジかよ…。
僕だけじゃなかった。日本中のミドルエイジたちが、同じように「このままじゃヤバい」って感じていたんだ。
なんだろう、この謎の安心感。絶望の淵で震えていたら、隣にも、そのまた隣にも、同じように震えている仲間がいた、みたいな。(笑)
しかも、この調査によれば、キャリアの見通しが明るい人ほど、何か新しいことを学んだり、自己投資したりしている傾向があるらしい。つまり、ただ不安がって何もしないんじゃなくて、何かしら行動(足掻き)を起こしている奴ほど、未来に光を見出しているってことか…。
データは雄弁ですね。僕に「おい吐瀉夫、ウジウジしてないで、何かやれよ」と、静かに、しかし力強く語りかけてくれてる?
で、どうすんだよ俺。絶望のまま50代になるのか?いや、まだやれるはずだ。
仲間がいるとわかった。行動すべきだということもわかった。
じゃあ、具体的に何をする?ここが一番難しい。正直、まだ明確な答えなんて出ていません。でも、今日の思考整理を通して、ぼんやりと進むべき方向性が見えてきた気がします。これは、僕が僕自身のために立てる、生存戦略(仮)です。
その1:専門性の「ハイブリッド化」計画
一つのスキルで若手と勝負するのはもうやめる。これまでの経験に、何か新しいスキルを掛け算して、誰も真似できない「レアキャラ」になる道を探ってみようと思う。例えば、僕なら「Web開発スキル」×「最近勉強し始めた動画編集」×「昔取った杵柄のライティング能力」とか。この掛け算で何が生まれるかはまだ未知数だけど、少なくとも「ただの古いエンジニア」からは脱却できるはずだ。…はずだと言わせてくれww
その2:「俺の失敗談」を最高の教材にする
後進に道を譲るなら、ただ黙って譲るんじゃなくて、最高の「引き継ぎ書」を残してやろうと思う。僕が過去にやらかした数々の失敗、それをどう乗り越えてきたかのノウハウ。これらは、教科書には載っていない、生きた知見のはずだ。これを体系化して、若手が同じ轍を踏まないように導く「メンター」としての役割。これなら、僕の経験そのものが価値になる。なんだか、悪くないかもしれない。
その3:「会社の吐瀉夫」から「ただの吐瀉夫」へ
会社の肩書がなくなった瞬間に、ただのおっさんになるのだけは避けたい。だから、今から少しずつでも「会社の看板」に頼らずに済むような活動を始めてみようと思う。このブログもその一つだし、社外の勉強会にもっと顔を出してみるとか、SNSで誰かの役に立つ情報を発信してみるとか。すぐに結果は出ないだろうけど、「〇〇社の胃もたれ沢さん」じゃなく、「胃もたれ沢 吐瀉夫さん」として信頼してくれる人を、一人でも増やしていく。それは、未来の自分への、最高の保険になる気がする。
結論なんて出ない。けど、今日のところはこう思う。
ここまで長々と書いてきましたが、結局のところ、僕の絶望が完全に消え去ったわけではありません。明日になれば、また若手の台頭に怯えたり、上司の無茶振りに辟易したりする日常が待っています。
でも、こうやって自分の感情を書き出し、データと向き合い、自分なりの仮説を立ててみたら、沼の底から水面を見上げるくらいの視点の変化はありました。
40歳からのキャリアは、「終わり」なんかじゃない。ガムシャラに走る第一章が終わり、蓄積した経験をどう活かすかを考える、もっと知的な「第二章」の始まりなんじゃないか。今は、そう思いたい。
もし、これを読んでいるあなたも、僕と同じような絶望を抱えているなら。大丈夫、あなたは一人じゃありません。僕も、今この瞬間、同じように足掻いています。結論なんてすぐに出なくていい。ただ、立ち止まらずに、ほんの少しでもいいから、一緒に足掻いてみませんか。
さて、そろそろ疲れてきました。
今日のところは、この辺でペンを…いや、キーボードを置くことにします。明日からの休みでリフレッシュしようと思います。
みなさんもどう思ってるか良かったらコメント下さい。気になってます。