胃もたれ沢 吐瀉夫の日常

ゲーム業界で働く社畜の僕が好きなものや、日々のあれこれを書いたり、気になったサービス・製品のレビューをしたりしてます。

生きるのが辛いと感じない自己否定の考察

当記事のリンクには広告が含まれています。

オッス!オラ吐瀉夫!

最近、ふとTwitterで「つらい」という言葉を目にして思ったことがある。

 

そういえば俺…辛いと思ったこと無いな、と。。。

親父が借金こさえて自殺した時も、
鬱病になって休職・退職した時も、
ブラック企業に入社して毎日朝5時まで残業だった時も。

ひえ~きっつ~と思ったりはしても「つらい」という言葉が浮かんだ覚えが無い気がする。

つら‐い
【辛い】
《形》
1.
苦痛に感じて耐え難い。「生きるのが―」「―修行」。相手の仕方や態度が、無情・冷酷だ。
 「継子(ままこ)に―・く当たる」
2.
《動詞連用形に付いて「づらい」の形で》
その動作をするのに苦痛や抵抗や困難を覚えてやすやすとは…できない。
 「聞き―悪口」

辛い 意味 - Google 検索

調べてもこれほど深刻に感じたことはない。

これは自分が真正面から向き合ってないからなのか?

それとも世の人々は辛いことにたくさん遭ってるのか?

ちょっとそう思った。

 

我ながら、自分の人生もそう楽なものではないと思う。

転職13回を超えた高卒のオジサンに社会は優しくないですからね(笑)

 

ただ、ここで思ったのが自分や社会への期待値が違うのかなとも思った。

前提として人並みに扱ってもらえるような人間ではないと思ったうえで生きていけば、自己肯定感は低いだろうけど、だからこそ「こんな扱いだよねどうせ」と思えるなと。

 

自分もそこまで”卑下”することはないけど、
そもそも相手や周りの、自分に対する対応に”期待”をしないように生きてるから
この「辛い」という感情が湧きづらいのかも知れないと思った。

 

www.imotare.com

 

前に書いたこの記事の考え方は、自分の根底にずーっとあって。

良い面、悪い面はあるけども、ストレスフリーにしてもらえてるなと改めて感じた。