胃もたれ沢 吐瀉夫の日常

ゲーム業界で働く社畜の僕が好きなものや、日々のあれこれを書いたり、気になったサービス・製品のレビューをしたりしてます。

【俺流ライフハック】自分や他者への間違った期待を捨てると幸せに過ごすことが出来る

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オッス!オラ吐瀉夫!

人生紆余曲折!13回の転職を経て、現在はとあるベンチャーの地方拠点の代表を務める35歳!

子供時代は親の自殺を経験し

仕事では鬱病、休職、契約終了になったり

そこそこ色々な経験をしてきたタイプだと我ながらに思う。

それでもできれば、辛い思いしたくないなーってやっぱり常々思うんですよ笑

少なくとも不幸だったり、ネガティブな感情に支配されちゃう、みたいな状況は回避したい。

ここらへんが最近、自分の中で手法として定着しているのでちょっと書き出したいなと思います。

ネガティブな感情の大部分は期待が原因

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原因を探ろう

そもそも、自分が今感じている負の感情って、キッカケって何なんだっけ?

と深堀りしていこう。

 

例えば「Aさんが嫌い」、とするならば何故嫌いなのか?

そこには必ず理由があるはず。

適当に記述すると

  • アイツといるといつも嫌な思いをする
  • 場の空気を乱す
  • 話が面白くない

とかとか。

しかしこれを逆に考えてみるとこうなる。

  • 一緒にいると良い思いをさせて欲しい
  • 場の空気を乱さないでほしい
  • 面白い話をして欲しい

つまり、こういった期待を相手に持っていてると言える。、それを叶えてくれないから、負の感情が生まれるのだと思う。

これは自分に対しても同様のことが言える。

例えば、「いつも上手くやれない自分が嫌い」とか。

これは単純に「いつも上手くやってほしい」という自分への期待。

どんなことでも、負の感情そこには期待を孕んでいる。

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期待を裏切られると負の感情が生まれる

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どうして!?

でも、これって大部分が「自分勝手な期待の押し付け」でしか無いんですよ。

例えば、僕がこの記事のブックマークやコメントが無くて「なんでなんだよ!お前ら嫌い!」ってなるとするなら、ブックマークやコメントをお願いしていないにも関わらず勝手にキレ散らかすヤバい人だろう。

 

もっと分かりやすく言うなら、仕事の例が分かりやすい。

上司から言い渡された今期の目標は「担当プロジェクトで月の売上1億円を安定的に出すこと」だとしよう。

難しくない内容だが粛々と目標を達成しても、評価は上がらなかった。

何故かと上司に尋ねてみると「君に期待していたのは、月1億円を出しながらも、更に売上を上げてもらうことだった。君にはガッカリしたよ。」と言われた。

上司の期待を超えられなかったから、評価は上がらなかった。

だからガッカリされた。

 

しかしながら、その期待はお互いに握れていたものだろうか。

一方的な期待はやめよう

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お互いに握手が必要

期待とは相手には伝わっていない状態では、一方的な見えない押し付けにしかならない。

しかも、期待している側の本人がそれを無自覚なままでは、奇跡的に相手が期待を満たさない限り誰も幸せにならない。

まるで呪いだ。

特に、ほぼ無自覚なレベルで期待しているものほど厄介だったりする。

しかも自分都合で、相手の能力や適性を無視した一方的な「期待のしすぎ」が起きていたりすると、もはやそれは実現不可能な願いなのだ。

イライラしてしまうのは、こういった無自覚に近いレベルの期待を数多く抱えてる場合が多いのかもしれない。

伝えられる期待は相手に期待しよう。ただし、「期待のしすぎ」のないように。

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相手や自分を正確に測る

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期待しすぎないように

そこで大事になってくるのが、相手や自分自身への期待を誤らないこと。

例えば、「サッカーがヘタクソなB君が嫌い」という感情は、「サッカーを上手にプレイして欲しい」という期待だ。

しかしながら、B君は運動音痴だったとするならば、この期待そのものが実現不可能なものかもしれない。

だとすれば正しいB君への期待は「運動音痴だからサッカーが下手でも仕方ない」というレベルに下がるだろう。

そうやって、相手や自分自身を正しく測ることが平穏な心でいられる第一歩だと思う。

 

鬱病に自分がかかった時、僕は自分自身に「このくらいの仕事が出来ない自分は駄目な奴だ」という感情に支配されていた。

でも、ぶっちゃけ「仕事なんて出来なくて良い」と今は思います。

仕事が出来ないのは自分のせいではない、それを任せた上司が悪いと今は思います(笑)

もし仕事が上手く出来なくても、あくまで「その仕事が出来ない」だけで、本人の適性をちゃんと見極めて、マッチする業務を任せれば活躍しれくれるものなんですよね。

 

だから、得意な仕事を選んでいけばいいし、苦手なその仕事が出来ないことで、ネガティブな感情に支配される必要はないんだと今でこそ思います。

「それでも自分はこのくらいできなきゃ自分を許せない!」なんて思う人もいるでしょう。

僕はそれを”驕り”だと思うし、自分に期待しすぎ、だと思います。

頑張り屋、努力家、熱心な人とキレイな言葉で片付けることも出来ますが、やはり一度しかない自分の人生を、謎の義務感で締め付けて苦しく生きるのは勿体ないなと。

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出来ない自分や他人を許し、適材適所を見つける努力をしたほうが、遥かに建設的ではないでしょうか。

僕は度重なる転職で、部下より定常業務が苦手な時代もありましたし、我ながら情けないなとも思う時もありましたが、自分の得意な分野の業務で貢献することで、信頼と成果を獲得してきた経験が数多くあります。

自分の人生における幸せも「こんなもんだよ」と期待をし過ぎないことで、自分の人生を肯定できています。

その上で、「これだけしか能力がない自分が幸せになるには」という考えで、慢心なく自分がどう生きていくかを考えるようにしています。

歩みはゆっくりなスケジュールかもしれないけれど、無理せず穏やかに、小さな幸せを感じる生き方ではないかと思います。

 

とまぁ、こんな感じで普段考えてることを、拙い文ではありますが、書き出してみました。

貴方は普段、どれだけ自分や他人に期待していますか?

一度考えてみても良いかもしれないですね。

 

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