胃もたれ沢 吐瀉夫の日常

ゲーム業界で働く社畜の僕が好きなものや、日々のあれこれを書いたり、気になったサービス・製品のレビューをしたりしてます。

前職の上司に謝罪をした話

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オッス!オラ吐瀉夫!

ちょっと前の話(去年)になるんですが、一昨年まで働いていた会社のメンター(上司)に謝った話を綴りたいと、ずっと思っていたのをやっとここに投下します。

僕とメンター(上司)

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まず、僕とメンターの関係性について。

メンターって何?上司じゃないの?と思う方もいらっしゃると思うので、軽く説明しますと、その方は僕にとっての上司であり、メンターでもあります。

ただの上司だったら、今回のような行動は起こさなかったと思います。

IT系企業では、精神的な師弟関係をメンター(師)とメンティー(弟子)。

また、技術的な師弟関係をトレーナー(師)とトレーニー(弟子)と呼ぶことが多いと思います。

教育指導の担当みたいなものをイメージしてくださると分かりやすいかもです。

僕も以前はこういう言葉、好きじゃなかったし、会社の人間に精神的な師弟関係とか求めてねーよっていうタイプでした。

しかし、間違いなく僕にとっては「メンター」なのです。

だからこそ、あえてここではその上司をメンターと書いていきます。

 

今の会社に2019年から入社して、改めて「メンタリングマネジメント」という本を読む機会があり、色々と感じるものがありました。

その感想はかなり粗雑ですが、下記にサラッとまとめています(あまりパーソナルな感想にはなってないので、今回の話にはひも付きません)。

www.imotare.com

僕とメンターの出会いは2015年。

当時の僕はオンラインゲームのディレクターの経験を積み、新しい会社で更に経験を積もうと出来たばかりのIT系ベンチャー企業に入社しました。

そこは本当に立ち上がったばかりの会社で、社長と取締役と執行役員だけがいるオフィスでした。

社長は他の会社でも代表を務めているため、基本的には取締役がほとんどの意思決定をするような組織で、エンジニアである執行役員が技術的な面でサポートするといった形。

この取締役が僕のメンターとなります。

メンターの面接を受け、僕はプランナーとして入社し、メンターの仕事の手伝いをしました。

当時の業務は、親会社のゲーム運用のサポート。

 

メンターは、もともと親会社でスマホゲーの企画〜運用を一通り行い、プロデューサーを務めていた人。

ちなみにメンターは僕より2歳ほど若いものの、25歳からゲーム業界に入った僕よりも経験を積んでおり、年を気にせず尊敬出来たし、様々なことを学ばせてもらいました。

 

その甲斐もあってか、半年後にはお手伝いではなく、僕がプロデューサーとしてチームを率いてゲーム運用を行い、その1年後にはまた別のタイトルでもプロデューサーを務めることに。

気付けば僕を入れて4人しかいなかった会社は、ほんの1〜2年で50人を超える規模になっていました。

 

チームメンバーからも慕われ、会社でも古株ということもあってか伸び伸びと仕事をさせてもらいました。

僕はメンターより年上ですが、僕の部下達は僕よりも更に年上で、上に上がるほどに若くなる変な組織でしたが人間関係は良好でした。

 

前職でディレクターになるも、チームメンバーとの関係に悩みうつ病で退職してしまった経験があった僕は、自分をここまで成長させてくれたメンターに強く感謝していました。

だからこそ僕はこの上司を、メンターと呼びたいのです。

 

ちなみにそんなに感謝しているくせに何故転職したのかは…

まぁ要は「新しいことがしたかった」「より成長出来る環境を求めた」って感じです。

当時は、そう思っていた(思い込んでいた)んです。

退職してずっと気になり後悔していたこと 

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メンターに感謝していたからこそ、僕は退職に対して、後ろめたさが物凄くあり、これまで何度も転職を繰り返した人生で一番緊張したのを覚えています。

一つの会社にこんなに長くいたのも初めてでしたし、こんなに上司という存在に尊敬と感謝の念を抱くのも初めてでした。

だからこそ、退職を決めてからはメンターとの交流を極力避けるようになりました。

 

自分の弱さの現れですね。

恩を仇で返すようなことをしている自覚があったから、だから距離を置いた。

二人で何度も徹夜して乗り越えたあの頃や、飲み会が終わっても会社に戻り二人で仕事をしては、土日もオフィスで顔を合わせて「また仕事してるんですかw」と軽口を叩きあう。

僕にとって、仕事というものの面白さや、仕事における青春とも言える最高の時間を共に過ごした相棒でもあり、師でもありました。

長年会社を支えてくれた功労者だからと、いただくねぎらいの言葉も素直に受け止められず。

 

僕の送別会の実施も断り、最終出社日の夜21時頃に「ほんじゃ!お疲れ様でした!」と別れの挨拶もせずに、逃げるよう退社したことを覚えています。

メンターは、「送別会は出来ずとも個人的に労いたいし、また2人で飲みに行こう」と言ってくれたにも関わらず、退職と同時に連絡を断ちました。

この、恩人から逃げるように退職をしたことを激しく後悔したのは退職後、半年ほど経ってからでした。

 

ちなみに、このあとの転職自体は失敗でした。

給与は上がりましたが、鬼ほどブラック(笑)

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他からも声を描けてもらっていたので、転職後1ヶ月で転職をしました。

 

そこ(現職)は、これまでよりもマネジメント職の強い業務内容ですが、同じような事業内容で同じような規模で同じようにベンチャーX年目という条件なのもあり、メンターの下で働いた経験が活かせたり、如何にメンターが優れた経営者・上司だったかを痛感しました。

 

今の会社は、若手・未経験者が多いため組織・会社としてあまりに拙く、気になる部分が多く、マネジメントでも業務でも悩むことが多いのです。

上司も部下も、これから成長が期待できる素晴らしい仲間なのだけれど、会社の文化がかなり特殊で、合理主義・成果主義の環境で働いてきた僕と価値観が一切合わないのです。

 

入社して、半年ほど経つも思うように結果を出せず。

どうやったら貢献出来るのか分からず、モチベーションも低下していました。

この時、自分は失ったものの大きさに気づきました。

 

メンターという心の支えであり、自分の力を引き出してくれる存在。

 

サラリーマン人生でどれだけ…そもそも出会えるか分からない、貴重な師。

それを失ったことに気づき、自分が今までどれだけ助けられていたかを痛感したのでした。

同僚の一言が背中を押してくれた

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そんな悩みを抱えていた中ですが、新しい会社で部署は違うものの気が合い、普段から組織論について語り合えるマネージャーの同僚が出来ました。

彼は営業職出身ではあるものの、僕と似たような経歴の持ち主でした。

彼は当時の上司が独立して起こした会社に着いていき、一時成功するもリーマン・ショックの煽りで、会社が縮小して転職を重ねて今の会社に来たとのこと。

 

ベンチャー規模の会社における組織論や経営について話すようなメンバーがいない会社だったので、彼とは色々な話をしました。

今では僕と二人で、全社的な組織開発に取り組んだりしています。

 

そんな彼が、とあることを、教えてくれました。

 

上司が興した会社が縮小して畳んだ後に、彼の上司である社長は「俺はまだやる。また仕切り直しだ。」と言って、また会社を立ち上げると決めたそうです。

そこで、再び彼を誘ってくれたとのこと。

 

しかし、彼はその会社で1番の営業成績だったこともあり「一人でも自分はやれる」と判断し、その誘いを蹴ったそうです。

 

その後、個人で仕事をしたり、転職をするも上手く行かず、過信ゆえに当時の上司の誘いを蹴ったことを後悔しているそうです。

 

現在でも連絡を取っているその上司は、彼にとってのメンターで現在の仕事についても色々な相談をしているとのこと。

僕はそれを聞いて、自分が抱えている後悔についても話しました。

 

すると、彼は「意外と相手は気にしていないもんだよ。どうにか連絡を取って謝ってみたら?」と、言ってくれました。 

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意を決してメールを打った

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メンターに連絡を取る

 

そんなこと出来るのか?

逃げるような辞め方した自分に?

 

そう悩みだしたのは、その「連絡を取る」という選択肢が生まれたがゆえ。

それから数日、ろくに眠れなくなりました(笑)

 

しかし、彼の言葉を信じて連絡することにしました。

 

いや、本当に怖かったんですよ…。

でもね、ありったけの感謝の思いと、後悔、申し訳ない気持ちと謝罪を盛り込んだ鬼ほど長文のメールを、これでもかというくらいに畏まったクソ長い文章を送りました。

 

TwitterのDMで(笑)

 

LINEアカウントも作り直したし、電話番号も変えていた僕は他に連絡手段を持っていませんでしたから…。

 

それは約1年ぶりの連絡。

しかも、そのDMには謝罪だけじゃなく、図々しくも「もし許されるのなら、当時のように仕事の相談や、仕事観について話せたら」なんて身勝手な望みまで書いてたんですよ僕は。

どんだけ身勝手なんだと…。

僕はこのDMを夜21時に送ると、スマートフォンの電源を落とし、眠りました。

返事なんか、来ないに決まっている、と諦めようと自分に言い聞かせながら。

予想外の返事

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翌日の夜に返事は来た。

画面2スクロール分くらいはあろうかという僕のDMに対し、メンターの返事はこれだ。

 

「えw〇〇さん?w」

 

短い!

 

あまりの短さにすぐさま返信。

そうです僕です、と。

 

しかし、その後メンターからは優しい言葉をたくさん頂いた。

 

「逃げるように辞めたとは思ってなかった」

 

「以前から挑戦したいと言っていた仕事を用意できなくて申し訳ないと思っていた」

 

「良かったら今度、飲みにでも行こう」

 

この言葉だけで、どれだけ救われたか分からない。

ここで更に分かったことがあります。

 

僕は「相談したかった」んじゃない。

困った時に相談できる「心の支えが欲しかった」んだと。

 

正直、この時点で大分心が軽くなってメチャクチャ仕事頑張れるようになりました。

自分からDMしといてクソ身勝手だけど本当に嬉しくて。

 

でも、久々に話せるのは嬉しいし、ちゃんと会って謝りたかったので、ご飯に行くことに。

約1年ぶりにメンター(上司)に会ってきた

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仕事帰りに、メンターが行きたいというお店で待ち合わせ。

久しぶりに会ったメンターはふくよかになっておられた。

いや、僕も太ったんですけどね()

 

久々に話すと、話したいことがいっぱいあったけど、まずは謝罪。

あの時は、本当にすみませんでした。ずっと後悔していました。

と、自分の思いを込めて。

 

 

メンターは黙って聞いて、謝罪を受け入れてくれた。

そこから、やっと色々な話が話せるようになった。

 

久々に二人で飲むと、会社が小さかった頃を思い出す。

この人の部下でいれたこと、本当に良かったと思えた。

 

気づいたら4時間近く話し込んでしまって解散したけど、メンターから嬉しい言葉をもらえた。

「今後、一緒に面白いことができたら嬉しいから、また飯に行こう」

と。

 

また、一緒に働けることを期待しているのではなく、そんな言葉を投げかけてもらえたことが最高に嬉しかった。

メンターの下で働いていたこと、彼の部下であったことを自信に変えて、頑張っていきたいと思えた。

そんな夜でした。

 

そして、それからは3ヶ月に1回ペースでご飯に行って、近況報告したり、仕事の相談したりするようになっています。

おかげさまで、今の仕事に新しい目標が生まれて、日々の熱量も上がっています。

 

僕も自分の部下にとって、僕にとってのメンターのような存在になれるよう努めようと思います。

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