どうも!オラ吐瀉夫!
突然ですが、皆さんSNSとか見てて疲れません? なんかこう、世界ってこんなにギスギスしてたっけ?って思う瞬間、ありませんかね。
誰かのちょっとしたミスを鬼の首を取ったように叩きまくる人。自分の信じる「正義」のためなら、どんな汚い言葉を使ってもいいと思ってる人。そして、その攻撃に対して、さらに強い憎しみでやり返している人…。
僕はね、もうそういうのを見るのが心底ウンザリなんですよ。本人は「間違ったことを正している」つもりなのかもしれない。でもね、その顔、鏡で見てみなよ。自分と違う意見を叩き潰そうとしている時の顔、たぶん悪魔みたいになってるぜ?って思うわけです。
そして、やられたらやり返す、倍返しだ!みたいな応酬。あれも見ていて気持ちのいいものじゃない。結局、同じ土俵で憎しみをぶつけ合っているだけで、そこには何の生産性もない。泥沼の殴り合いを、外野から延々と見せられている気分になるんです。
復讐に燃える自分が、果たして美しいか? カッコいいか? 多分、そんなことないですよね。むしろ、憎しみに心を支配されて、どんどん視野が狭くなって、不幸になっていくだけ。
今日は、そんな「悪意の無限ループ」から抜け出して、いかに自分の心の平穏を保つか、というテーマで僕なりの考えを語っていこうと思います。ネットの荒波に揉まれて心がささくれ立っているあなたの、ちょっとした救命ボートになれたら嬉しいなーと思ってツラツラと書いていきます。
- なぜ人は「正義」の名の下に他者を攻撃するのか?その心理的背景
- 悪意の連鎖「やり返したら、おしまい」の法則
- 僕が実践する「悪意」から心をガードする具体的な方法5選
- それでも心を削られたあなたへ。自己肯定感を回復させるヒント
- まとめ
なぜ人は「正義」の名の下に他者を攻撃するのか?その心理的背景
そもそも、なぜ人は「自分は正しい!」と思った瞬間に、あんなにも攻撃的になれるんでしょうか。これには、人間の厄介な心理がいくつか絡んでいるようです。
一つは「確証バイアス」というやつ。これは、自分が信じていることを肯定するための情報ばかりを集めて、それに反する情報を無視したり、軽視したりする心の働きのことです。例えば「Aは悪だ!」と思ったら、Aが悪である証拠ばかりが目につき、Aの善い面や、違う側面が見えなくなってしまうんですね。
確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向のことです。
引用元: カオナビ人事用語集「確証バイアス」
この状態に陥ると、「自分はこんなに証拠を知っている!だから絶対に正しい!」という万能感に浸ってしまい、異なる意見を持つ人が「何も知らない愚か者」に見えてしまう。だから、ためらいなく攻撃できてしまうわけです。
さらに厄介なのが「正義中毒」とも言われる状態。脳科学者の中野信子さんによれば、ルールを破った人や裏切り者などを罰すると、脳の「報酬系」と呼ばれる部分が活性化し、快感を得られるんだとか。つまり、不正を叩く行為が、脳にとっての「ご褒美」になっちゃってるんですね。
これがエスカレートすると、快感を得るために常に「叩くべき相手」を探し回るようになる。まさに「正義」という名の麻薬に溺れている状態。こうなると、もう対話なんて成立しません。相手は議論がしたいんじゃなくて、ただサンドバッグを殴ってスッキリしたいだけなんですから。
僕はそもそも「世界に正解は無い」と思うようにしているので、こういうのはあんまりないです。
あるとしたら「自分が選んだ答えを正解にするための努力をする」だけです。
自分の正しさを証明したい、間違った(と自分が思う)ヤツを叩いて快感を得たい。そんな人間の本能的な欲求が、「正義」という大義名分を得たときに暴走してしまう。これが、ネットに溢れる攻撃的な人々の正体の一つなんじゃないかと、僕は考えています。
悪意の連鎖「やり返したら、おしまい」の法則
さて、そんな正義マンに攻撃されたら、誰だってカチンときますよね。「はぁ?お前に何がわかるんだ!」って言い返したくなる気持ち、めちゃくちゃわかります。
というのも、こんな偉そうなことを語っている僕ですが、ありがたいことに人から「怒らないですよね」「なんでそんなに人間ができてるんですか」なんて言われることがあるんです。いやいや、とんでもない! それは今の僕を見てるからそう思うだけで、昔の僕を知る人が聞いたら腹を抱えて笑いますよ、マジで。
何を隠そう、僕自身がもともとは超絶にキレやすい、沸点3度の瞬間湯沸かし器みたいな人間だったんですから。理不尽なこと、気に食わないことがあると、すぐにカァーッとなって、戦闘モードに突入。言葉のナイフで相手をめった刺しにしてやる!くらいの勢いでした(若気の至りってやつですね、恥ずかしい…)。
でも、ある時からプツッと変わったんです。きっかけは、すごく単純な気づきでした。
「あれ…? 怒るのって、めちゃくちゃ疲れるな…」
って。怒りの感情って、ものすごいエネルギーを消費するんですよね。頭に血はのぼるし、心臓はバクバクするし、言い返した後はドッと疲労感が押し寄せる。アドレナリンの作用ですね。で、結局何もいいことなんて残らない。
それ以来、敵意とか害意とか悪意とか、そういう負の感情をなるべく自分の中にストックしないようになりました。今でもムカつくことや理不尽に思うことはありますよ。感情が全く沸かないわけじゃない。でも、「ああ、この感情に乗っかって殴り合いに参加しても、疲れるだけだな」って、一歩引いて見れるようになったんです。そう、不毛な憎悪の殴り合いから、自ら降りることにしたんです。
だからこそ、身に染みてわかる。悪意に悪意でやり返したら、その先にあるのは消耗戦という名の泥沼だけだって。
「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。これは古代バビロニアのハンムラビ法典に出てくる有名な言葉ですが、本来の意味は「やられたことと等しい罰までに留めよ。それ以上の過剰な復讐はするな」という、報復に上限を設けるための戒めだったと言われています。
そもそもやられたらやり返すって、古代バビロニア時代と同じレベルの人間ってことになりますからね(笑)
罪刑法定主義、およびタリオの法(同害報復)
ハンムラビ法典196・197条にかかれている法的な内容は、現代では学術的にはタリオの法[注 2]と言い、同害報復(どうがいほうふく)の法ともいう。いわゆる、「目には目を、歯には歯を」という言葉に表される規定は同害報復(タリオ)と呼ばれ、罪刑法定主義の起源とされる。被害者と同じ程度の害を加えることを上限に、加害者に、報復を認める処罰法である。これは、処罰は犯罪に対する応報であるから同程度が適切だ、とする考え方に基づいており、報復の上限を設ける法律である。過度な復讐を防ぐ目的がある。犯罪に対して厳罰を加えることを目的にしているわけではない。
引用元: ハンムラビ法典 - Wikipedia
しかし、現代のネット上で行われているのは、やられたら倍返し、10倍返しが当たり前の過剰な報復合戦です。これでは、憎しみの炎にガソリンを注いでいるようなもの。相手の悪意に自分の悪意を重ねて、ただただ燃え広がっていくだけ。
古代バビロニアよりタチが悪いかもしれない。
その戦いに、勝者なんていません。仮に相手を言い負かして黙らせたとしても、あなたの心には何が残りますか? 疲労感、虚しさ、そして自分もまた誰かを傷つけたという後味の悪さだけではないでしょうか。
復讐は、その瞬間はスッとするかもしれません。でも、長い目で見れば、自分の時間と精神的なエネルギーを、自分を傷つけた相手のために浪費しているのと同じこと。そんなの、あまりにもったいないじゃないですか。
だから僕は思うんです。「やり返したら、おしまい」。悪意の土俵に上がった時点で、もう負けなんだと。
僕が実践する「悪意」から心をガードする具体的な方法5選
じゃあ、どうすればいいんだよ!という声が聞こえてきそうですね。わかります。ここからは、僕が普段から意識している、悪意ある人々から自分の心を守るための具体的な方法をご紹介します。どれも地味ですが、効果は絶大ですよ。
1. 「見ない」という最強の盾を構える
まず、基本にして最強の防御策がこれです。見ない。以上。
SNSには便利な機能がありますよね。ミュート、ブロック。気に食わないヤツ、不快な言葉を吐くヤツは、ためらわずにポチッとしましょう。相手に通知が行くわけでもないし、何の不利益もありません。「ブロックは失礼かな…」なんて思う必要、一切なし。あなたの心の平穏の方が1億倍大事です。
2. 物理的に距離を置く(情報デトックス)
特定の話題で荒れているな、と感じたら、その日はもうSNSやニュースサイトを開かない。これを僕は「情報デトックス」と呼んでいます。世の中の全ての論争に参加する必要なんてないんです。あなたが知らない間に、論争なんて勝手に始まって、勝手に終わっていきます。その渦中にわざわざ飛び込むのはやめましょう。スマホを置いて、散歩でもした方がよっぽど健康的です。
3. 相手の土俵に乗らない(反応しない勇気)
もし直接的に攻撃的なリプライなどが来てしまった場合。一番の対処法は「完全スルー」です。反論したくなる気持ちをグッとこらえる。これは「負け」ではありません。「戦う価値なし」という、あなたからの高尚な意思表示です。攻撃的な人は、相手の反応をエネルギーにしています。燃料を投下しなければ、火は勝手に消えていくものです。
4. 自分の「感情のトリガー」を知る
どんな言葉や状況で自分がカッとなりやすいのか、客観的に分析してみるのも有効です。これは「アンガーマネジメント」の考え方にも通じますね。例えば、「自分の好きな作品をけなされると我慢できない」とか、「理不尽な決めつけをされると頭に血がのぼる」とか。自分の"沸点"を知っておけば、「あ、今自分は怒りそうだな」と一歩引いて冷静になれます。
アンガーマネジメントは1970年代にアメリカで開発された、怒りの感情と上手に付き合うための心理トレーニングです。
引用元: 一般社団法人 日本アンガーマネジメント協会「アンガーマネジメントとは」
自分の感情のクセを理解するだけで、衝動的な反応をかなり防ぐことができます。
5. ポジティブな情報に触れる時間を増やす
人間の心は、触れる情報に大きく影響されます。汚い言葉や悪意ばかり見ていれば、当然、心も荒んできます。だからこそ、意識してポジティブな情報、好きなもの、面白いもの、美しいものに触れる時間を増やしましょう。僕だったら、面白いゲームの実況動画を見たり、好きなブログを読んだり、新しいガジェットの情報を集めたり。心が喜ぶ"栄養"をたくさん与えてあげることが、悪意への一番の抵抗力になります。
それでも心を削られたあなたへ。自己肯定感を回復させるヒント
ここまで防御策を語ってきましたが、それでも心ない言葉に傷ついてしまうことはあります。人間だもの。そんな時は、自分を責めないでください。「こんなことで傷つくなんて、自分は弱いな…」なんて思う必要はありません。
大事なのは、傷ついた心をどうやってケアしてあげるかです。
僕がおすすめしたいのは「セルフコンパッション」という考え方。これは直訳すると「自分への思いやり」です。親友が落ち込んでいる時にかけるような優しい言葉を、自分自身にかけてあげる、というもの。
「そりゃあんなこと言われたら傷つくよな。辛かったね」「よく耐えたね。あなたは悪くないよ」
こんな風に、自分自身の一番の味方になってあげるんです。他人の評価とあなたの価値は全くの別物。赤の他人が投げつけてきた石ころ一つで、あなたの価値が傷つくことなんて、絶対にありえません。
もう一つ、「リフレーミング」という手法も有効です。これは、ある出来事の枠組み(フレーム)を変えて、別の視点から捉え直すこと。「悪意をぶつけられて最悪だ」という出来事を、「ああいう人間になってはいけない、という反面教師に出会えた」「自分の心の平穏がいかに大事か気付くキッカケになった」と捉え直してみる。無理やりポジティブに、というよりは、一つの経験として客観的に意味付けし直すイメージです。
すぐにできなくても大丈夫。少しずつ、自分の心を大切に扱う練習をしていきましょう。
まとめ
長々と語ってきましたが、僕が一番言いたいのは、「悪意の連鎖を、あなたの代で断ち切ろう」ということです。
世の中から悪意や敵意がなくなることは、残念ながらないでしょう。でも、その悪意にどう反応するかは、僕たち一人ひとりが選べます。憎しみに憎しみで返すのではなく、スッと身をかわして、自分の大切な時間とエネルギーを、自分が幸せになるために使う。
正義を振りかざして他人を殴っても、そこには何も生まれません。むしろ失うものばかりです。それよりも、自分の好きなものを愛でたり、大切な人と笑い合ったりする方が、よっぽど豊かで、価値のある時間の使い方だとは思いませんか?
世界から悪意がなくならなくても、あなたの心の平穏は、あなた自身の手で守ることができます。
ネットの荒波に疲れたら、いつでもこの記事を読みに来てください。そして、少しだけ肩の力を抜いて、自分の心を労ってあげてくださいね。
それでは、また!